効率的市場仮説に「否」を突き付ける
ニュースはすぐに価格に織り込まれてしまう…。
チャートの値動きはランダムで、テクニカル分析等では利益を狙えない。
そう唱えるのは効率的市場仮説です。
それでも投資・トレード・投機によって利益を狙おうとするのは、
この仮説の何らかの歪みを認識し、仮説に対して「否」を突きつける行為です。
(どの程度の強度の市場効率化を想定するかにもよりますが)
「現在、何が効率的でないのか」と考えることは、
投資・トレード・投機のアイデアとなりえます。
非効率性を探る
株のバリュー投資は、企業の財務状況や事業価値と、今の市場の評価に差があり、
今保有しておくことで、その差が埋められた時の利益を狙います。
FXや先物であれば、大数の法則が収束しやすくて確率的に勝てるところや、
勝率は低くても、利益を大きく伸ばせる瞬間や価格を狙うでしょう。
オプションの場合は、マーケットの織り込んだボラティリティに対して、
違うポジションをとることで収益を狙うことが一つのトレードスタイルです。
いずれも、効率的市場仮説では存在しえない「歪み」を利益に変えています。
現実の市場では非効率性は存在するのです。
仮説のたとえ話
効率的市場仮説には「お金を拾う」という、有名なたとえ話があります。
お金が落ちています。
大学の学生がお金を拾おうとしましたが、
教授はそれを咎めます。
なぜなら、教授によれば、それは本物のお金ではないから。
「本物なら、それは裁定取引により、すでに誰かに拾われているはずだ。」
「効率的な市場では、本物のお金は落ちていない」ことを
信じ切っている教授を風刺するジョークです。
自己分析と心理的歪み
自分自身の取引記録を見返します。
そのとき、そのとき、取引しようと思ったのは、「お金が得られる」と思ったからです。
しかし、全部が利益になるということはありません。
「お金を拾えるかもしれない」気持ちと事実の差
それは、「お金が得られると思ったが、実際はそうではなかった」ということです。
「勝てると思ったが、そうではなかった」ということです。
この点について、分析する価値があります。
単純に、確率的に利益が得られなかっただけということもありますが、
使っている取引手法が市場の状況に適さないということもありますし、
自分の考えている市場のイメージが、実際と異なるということもあります。
これらを修正しなければ、「お金を拾えるかもしれない」と思うだけになってしまいます。
市場に歪みがあるだけでなく、自分自身にも心理的な歪みが存在することに気づかなければなりません。
「お金が拾えるかもしれない」リスクの大きさ
また、取っているリスクも想像より大きな場合があります。
それは、もう一つの「お金が落ちている」有名な例え話があります。
お金が落ちている。
簡単に拾えるのはいい。しかし、それは線路のど真ん中。
拾っているうちに、汽車に轢かれてしまうリスクに気づいているだろうか。
これは、高スワップ・政情不安定のFX通貨ペアや、
オプションの売りポジションを警告するときによく言われます。
最近の例では、原油価格の暴落に伴う、原油ETFでそれは発生しました。
個人投資家が「底値買い」をするはずが、そこからさらに価格が下がりました。
(ETFを構成する原油先物のロールオーバーによるものです)
証券会社の NISAランキングでは原油ETF・ETNが入りましたが、
コストが決して安くない中で、長期でもはたして利益になるでしょうか。
利益になっても、どれだけのコストを支払っているでしょうか。
取引難易度を一緒くたにしてしまうバイアス
よくよく考えればそうなのですが、「お金が拾える難易度はまちまち」なのです。
裁定取引のように、リスクは小さいが、パイが限られているので、難易度は決して低くない。
損大利小の取引のように、通常時は利益になりやすいので、売買するハードルは低い。
ただし、難易度は低くない。
けれど、「お金が拾えそう」と私達は思った時、
ハードルの高さも難易度もすべて一緒に考えてしまう傾向があります。
それは賭けに対してベットする行為が表面的には一緒に見えるためなのが
大きな要因に思えます。
チャートはどの銘柄もローソク足チャートであり、
どの取引アイデアに対しても、取引発注方法はあまり変わらないことにも起因します。
お金は拾えていますか。
歪みに気づいていますか。